保護施設②

紫苑と初めて会った夜はとても涼しかった。もう10月に入り、施設の廊下を裸足で歩くには冷たすぎるくらいだった。保護施設に入って3日目の夜。ナニカないかとナニカを探し回る夜。皆眠っている。そりゃあ2時をとうにすぎて、虫の声さえしない夜更けだ。
静かすぎる。俺のぺたぺたする足音と衣擦れの音、浅い口呼吸が唯一の音になった。与えられた部屋である東館201号室を抜け出し、本館1階の階段を下る。昼間にはガキ共(そりゃ俺も含まれるが俺以外のガキのことだぞ)で騒がしかった食堂ですら物音一つしない。食堂前を通過し、下駄箱と便所が向かい合う入口を歩いて抜ける。真正面の通路左手には図書館。そこも抜けて南館でも見に行ってやろうかと思った矢先。ずるりずるりと、重たいナニカを引き摺って歩く音。二つ先の曲がり角からその音がする。ずるり。嗅ぎなれた匂い。赤くて黒くて茶色くなる匂い。なんの音なのかなんて考える前にわかってしまった。一つ目の曲がり角を通過。二つ目の曲がり角を曲がって通路の中央に立った。そいつは、見られた。と言わんばかりに俺の顔を凝視した。ずっと先の未来で俺の後釜になる(であろう)紫苑だ。だけど俺は、紫苑よりも、紫苑の引き摺っているモノにしか興味がそそられなかった。こいつが殺したのか。その死体はどうするのか。どうする予定もないなら、俺にくれよ。くれなくても、奪い取ってやる。つい嬉しくて唇を噛み締める。これが死体。猫や昆虫とは違う。仕組みが違う、人間の死体。姉の右足と同じ仕組みになっているんだろう。もしソレがまるごと手に入るなら。興奮のあまり、声がおさえきれなかった。
「なぁ、ソレ。ソレさぁ…あんたが殺したのか?」
「俺が引き摺って歩いてるんだから当然だろ。」
そりゃあそうか。だからお前が引きずって歩いてるんだよな。いや俺にしてはバカなこと聞いちまった。仕方ないよ、初めてまるごと手に入るんだと思えば。(もらうことが前提になってるとは、言っちゃいけない。)
俺はそいつに詰め寄って、そいつの手ごと死体の手を握りしめた。緊張と興奮でじっとり汗が滲む。
「ソレ、俺にくれよ。」
あー、言っちゃった。でも願望は言葉にしなくちゃ。父さんも言ってたような気がする。多分。
「欲しいんだよ、俺は。死んだ後のソレが。あんたには価値がなくても、俺には価値があるんだよ。死んだ事実なんかどうでもいい。ただ死体があるならそれでいい。あんたが生き物を殺すように、俺は死体を集めるだけ。ミニカーのコレクションと変わらねぇよ。」
そう。俺にとって死体を集めるのは、ミニカーのコレクションと何ら変わりはない。集めることになんの意義があるかと聞かれても、答えられる答えはない。ただ集めたいから集める、ただそれだけだ。
みたところこいつは、死体を必要とはしてない。さしずめうるさいから殺したくらいの感覚だろ。なら、そうだ。いいコトを思いついた。
「俺と組めよ。死体はもらってやる。」
「……同じこと考えてたぜ。俺は殺すだけで充分。処理に困ってたんだ、超ラッキーって感じ。殺す俺と保管するお前、WIN-WINじゃん。」
「保管はしてねぇけどな。」
ホントに。あればそれでいい。ミニカーのコレクションと違うのは、しっかり管理するかしないか。死体はコレクションじゃないから、順番に並べたり、向きを揃えて置いたりはしない。ただ手に入れたその瞬間のためだけに集めるのだ。
「俺、紫苑って名前。お前は?」
「知らん」
「知らんってお前、名前くらいあるだろ。」
「前の名前使ってたら、身バレするだろ。ヤだよ俺そういうの。有名な家だったから。」
ヤなんだよ名前名乗るのって。今のご時世ネットが発達してやがるから、姉ちゃんが事故で死んで一家四散なんてすーぐ情報が伝わる。3年前のこととは言え、ちょいちょいっと調べれば簡単に出てくる。便利だがイヤな時代になったぜ。
「……いいから。俺そんなの知らねぇし。」
ウソつけこいつ絶対知ってる。いや知られてても構わん。だけど問題なのはソレがどういう話の展開になるか、だ。俺をバカにするか罵るか憐れむか無関心か。どれでもなんでもいい。とにかく俺と家は無関係な程に関わりがないと理解すれば、それで。
「……恢吠夛雀。」
「あ、知ってたわ。それ。お菓子作るのすげぇ上手なトコだろ。うんでもそれ以上は知らない。だから別に何も言わなくていい。」
ほうらなやっぱり。知らないことなんかねぇんだよ。あれだけ派手に報道されりゃあ赤子だって知ってておかしくない。ただ俺は、ふぅんと小さく鼻を鳴らした。どうでもいい。知らないと言うのが嘘なのか本当なのかさえ関係ない。姉は三年前に死んで、家はバラバラになった。ただそれだけのことだ。
だからこんな話はどうでもいい。紫苑の手を解き死体を抱き寄せる。これはもう俺のものだ。誰にも渡しはしない。
「あっそ。で?あんた部屋どこ?」
「南館の404号室。」
「うわ、真逆じゃん。俺東館の201号室。」
「施設長に言って相部屋にしてもらおーぜ。施設長、会ったことあるけど融通ききそうな人だったぜ。」
「そうかぁ?あの人絶対聞かなさそーだけど。」
「いいよ部屋は。それよりあんた早く部屋に戻ったほういいぜ。」
時間はもうすぐ3時。見回りのヤツらがうろつき始める頃。そろそろ戻らないと何をされるかわかったもんじゃない。
「なんでだよ?」
「見回りしてるヤツがいるから。毎日3時前になると本館に急に現れるんだよ。俺一昨日ここに来たけど、こえーよ、あいつら。」
本当に。足音はしない。気配もない。何もする感じもない。なのに、見つかったらおしまいとは、何故かわかっている。
「……ふぅん。その忠告聞いといてやる。じゃーな夛雀。また会おうぜ。」
「恢って呼べよ紫苑。女みてーな名前で嫌いなんだ。またな。」
紫苑が血だらけの寝間着をどうするのかなんてどうでもいい。どうやってこの女を殺したのかですらなんでもいい。
紫苑は通路の突き当たりを左に曲がり、階段を駆け上がっていく。足音が小さくなった頃、俺もそろそろと本館の図書館と食堂を通り過ぎる。人間の死体って、こんなに軽かったか。それともこいつがチビだっただけなのか。東館の階段を駆け上がり、与えられた部屋である201号室の扉を開ける。ドサリと死体を投げ込み、血のついたブラウスをバスタブに放り投げ湯で満たす。そのままシャワーを浴びて寝巻きに着替え、ロクに頭も拭かないでベッドに潜り込んだ。
次の日、昼の休憩時間に紫苑と会った。なぜだか不思議そうな顔をされたが、そんな顔しても昨日の話はしてやんねーよ。